【寄稿5】東日本大震災から10年、今、私たちが考えていること

2021.03.01

放射線治療科長
神宮 啓一

2021年3月11日で震災から10年となります。当時は我々医師にとっても未曽有の出来事であり、多くの教訓を残しました。それは放射線科医にとっても同じでした。皆さんのご記憶にもあると思いますが、あの震災の影響で福島第一原発事故が発生しました。この事故では日本が初めて経験する大きな放射線事故であり、きわめて大量の放射線物質が大気に放出されました。この環境汚染はいまだに残る問題です。この汚染は近隣の住民に避難いただくような状況であり、近隣の市町村から多くの避難民が発生しました。仙台にも避難されてきた方も少なからずおられました。その時、避難所に福島県から来られた方は入れてもらえないということが起きました。それは放射線の知識が少ない一般の方では仕方ないと思います。ところがそれだけでなく、病院にも入れないということがありました。現在世界的に流行しているCOVID-19などウィルスと異なり、放射線は測定することでその存在をリアルタイムで知ることができます。その知識を持っているはずの医療現場ですら、このようなことが起こるのかと医局員一同信じられない思いでした。そこからの我々の当時の活動はいろいろな場面で既に述べてきましたので、本稿では省略します。今回は東日本大震災後に私が教授に就任してから始めたことをご紹介します。東北大学では医学部5年生が臨床を学びに各科を回ります。放射線治療科も全員が回ります。そのときに必ず放射線被曝の講義を行うことにしています。過去の放射線事故の症例を見せながら、放射線の基礎知識を再度学んでいただくようにしています。低学年のときに学んでいることですが、実際の事故の内容を学ぶことや臨床医学の知識があるときに学ぶことで、自分が放射線事故現場に関わったときにどう行動すべきかを身に付けるために行っています。始めてからもう多くの医学生が卒業し、日本各地で活躍していると思います。再び起きないのが一番よいのですが、万が一同じような事態が起きたときに東北大学を卒業した医師は医療人として恥ずかしくない行動がとれるようになっていることを切に願います。

福島第一原発事故の影響で避難されてきた方々に放射線検査を行う準備の様子

神宮 啓一(じんぐう けいいち)
1976年福岡県出身。2002年東北大学医学部を卒業後、同放射線治療科に入局。放射線医学総合研究所重粒子医科学センター、米国スタンフォード大学などを経て、2012年より東北大学大学院医学系研究科放射線腫瘍学分野教授、当院放射線治療科長。
11月24〜30日は
医療安全推進週間
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