これまでの経緯と現在の仕事内容を教えてください。
高校卒業後、ちょっと寄り道をしてから20歳の時に航空自衛隊に航空学生として入隊しました。航空学生はいわゆるパイロット候補生課程で、約6年かけて一人前のパイロットを目指すものです。私は人命救助とヘリコプターに興味があり、救難ヘリの道に進みました。その後、配属された部隊で新潟県中越地震などの災害救助を経験する中で、日々人命救助を任務とするドクターヘリに憧れるようになり、転職を決意しました。現在は東北エアサービス株式会社というヘリコプター運航会社のパイロットとして、宮城県のドクターヘリと防災ヘリに従事しています。
仕事の内容は、他でもなくドクターヘリの操縦です。毎日8時30分からおおむね日没まで基地病院(仙台医療センターか東北大学病院)のヘリポートに待機して、消防からの出動要請が入ると3、4分で離陸します。上空で患者情報などを無線で入手しながらランデブーポイント(ドクターヘリと救急車の合流地点)へ向かい、現地での医療クルーによる初期治療の後、必要に応じ受け入れ病院へ搬送します。
パイロットになったきっかけ、転機になった出来事は?
中学生の頃、パイロットに憧れて「パイロットになるには」という本を買ってみたのを覚えています。それでも最初は、まず大学を出て、その後パイロットになるチャンスがあったら挑戦してみたいというくらいのものでした。高校卒業後、海外での大学進学を目指すことにしたのですが、語学学校の先生に将来の夢を聞かれたのをきっかけに、飛行機の学校を紹介され、そのまま空の世界に足を踏み入れてしまった感じです。
ただ、資格を取っただけでパイロットとして食べていけるほど現実は甘くはなく、自衛隊にパイロット候補生として入れたことが人生の転機だったと思います。
仕事において大切にしていることは何ですか?
大切なことは「決して無理をしない」、そして、離陸したからには「何があっても安全に着陸させる」ということです。特にドクターヘリが離着陸する場所は、山奥だったり住宅街の公園だったりと狭いところが多く、管理された空港での離着陸に比べ障害物や飛散物など多くのリスクが存在し、高い注意力を要します。予測できない気流の乱れやエンジン故障など緊急事態への心積もりも必要で、機体性能を熟考した慎重な操縦が求められます。
また、待機するのは穏やかな晴れの日ばかりではなく、強風や雨、低い雲など天候条件の悪い日も必ずあります。そんな日に限って、「小学生交通事故、意識なし」などといった要請が容赦なく入ってきます。ここで大切なのは、「なんとか助けたい」という感情を持ち込まない、つまり、患者情報を出動可否の判断要素に入れてはならないということです。自分の子が溺れていたら無理してでも助けに行こうとするのが親ですが、この仕事においては、その「無理」がクルー全員を命の危険にさらすことになるからです。
このように、ドクターヘリ操縦士はクルーと患者さんの命を預かるという責任の重い仕事ではありますが、医療スタッフでも消防士でもない私が人命救助という崇高な任務に加われることに大きなやりがいを感じますし、仕事を頑張るモチベーションになっています。
休みの日はどんなことをして過ごしていますか?
日曜大工と薪(まき)ストーブが趣味で、時々山登りにも行きたいと思っています。子どもの頃から工作が大好きで、今も休みの日は超多忙です。小屋から小物まで、作れるものは何でも自分で作ります。その大工仕事の傍ら、冬に備えて丸太を集めたり薪割りをしたりと、体がいくつあっても足りません。山には行けないですね(笑)。