高校生の時に遺伝子異常による先天性の希少疾患の存在を知ったことがきっかけで、遺伝子工学を学び、医療機器メーカー勤務を経て、結婚後仙台に居を移した徳江さん。別の業界への転身も考えますが、CRIETOならば、利益を出していくことが目的の一つである民間企業では手がけづらい領域を対象とする開発ができるかもしれないと、初心を思い出して入職。アカデミアのアイデアや医療現場から生まれるニーズを基に、医療機器の開発に向けたロードマップを描いて伴走し、臨床試験を経て世に送り出すまでをトータルで支援しています。入職から8年、開発のマネジメント以外に部門の基盤を整える仕事も増え、5歳と2歳の子育てに奮闘しながらも初志を貫徹する姿は、後進のロールモデルとなっています。
CRIETO に入職したきっかけと開発推進部門での仕事内容を教えてください。
遺伝子異常による先天性の希少疾患の治療に関わりたいと遺伝子工学を大学、大学院で学び、卒業後は医療機器メーカーに勤めました。結婚後に退職して仙台に来てから、一度は別の業界への転職も考えたのですが、CRIETOの存在を知り、公的な資金を元にアカデミアで医薬品や医療機器を開発する流れがあることを知りました。民間企業では手がけづらい領域の研究開発に、私が経験してきたことが生かせるかもしれないなと思い、門をたたきました。
現在は主に医療機器開発の支援を行っており、特にアイデア段階の案件を担当することが多いです。アカデミアの先生は最先端の研究や技術、医師の先生は日々患者さんと接する中で解決したい課題を発端にアイデアを着想されるので、その両側面から見ることができるのがすごく面白いですね。
開発に伴走する上で気を付けていること、やりがい、苦労していることは。
アイデア段階でご相談をいただいた後、最初に踏み出す方向を間違えると、開発が遅れたり失敗したりすることがあります。最終的にどういう結果に結び付けられるかを最初からイメージして、一歩目をどう踏み出すかが非常に重要だなと、いつも思っています。各部門の部門長とも相談しながら、開発戦略の専門家として助言できるように頑張っています。
企業さんにとって医療機器開発は大きな投資で、極めて高い品質と安全性が求められ、しかも利益を上げることが重要です。おいそれと手を出せるものではありません。にもかかわらず、大きな収益につながりそうな製品だけではなく、患者さんは少ないけれども非常に困っていることを解決しようとアカデミアが開発したものに対し、企業さんがその意義に共感してくださって連携に至ると、同じ志を共有する仲間なんだと改めて実感します。熱い思いを持った人たちとの信頼関係はやりがいとモチベーションにつながっています。
開発推進部門に来て8年が過ぎ、開発のマネジメント以外に、部門の基盤を整えるような仕事も多くなってきました。新卒採用の若い方もいるので、仕事の仕方や時間の使い方、日々の困り事などを聞いたり、誰がどういう仕事に何時間使っているか、リソースが偏っていないかを把握できる仕組みを作ったり、どうしたら業務が効率化するか考える仕事です。開発推進部門は、この10年で人数も業務量も急成長し大きく変化しました。社会環境や働く人の価値観も多様になっています。どういう手当てをしたら、みんなが心身共に健康で、前向きな気持ちで仕事に取り組めるか、日々悩んでいます。
現在の仕事を通してかなえたい夢や目標を聞かせてください。
医薬品開発も医療機器開発も日本は世界から遅れを取っていて、革新的なものはほぼ海外で生まれています。日本から先駆的な開発が生まれて、そこに私も関わっていたい、というのが思い描いていることです。人口減少や高齢化、健康寿命の問題など、健康や医療に関する話になると先行きが暗い話題も多い中、革新的な開発をしている組織が日本にあれば、今、病気で困っている方が、半年後には何か素晴らしいものが出てくるかもしれないと希望を持てるかもしれない。そんな仕事ができたらというのが願いです。
身近なところですと、フルタイムで働いていて、産休育休を取得し、復職して子育てをしながら仕事を続けているのが、部門内ではたまたま私が最初でした。ありがたいことに多様な働き方を認めてくれる部門なので、私が何とかやっているのを前例として、ここなら結婚しても子どもを産んでも働き続けられるんだな、そういうキャリアもあるんだなと思ってもらえたらうれしいです。
実際には、2人の子どもを育てながらとなると本当に大変で、続けてきたのはもはや意地です(笑)。でも、一日仕事をした後、疲れてイライラしながら保育所に迎えに行くと、子どもが元気に「お母さーん!」と駆け寄ってきて、張り詰めていた気持ちがぱっとほどける瞬間があるんです。日々が大変な理由も子どもたちのはずなのに、そこを挽回するのも子育ての中で見つけてきているんだなと、不思議な気持ちですね。