嚥下障害の治療に力を入れている背景を教えて下さい。
香取(耳鼻科): 近年、嚥下障害に対する治療のニーズが高まっています。特に大学病院では救急医療やICUなどの急性期医療が充実してきたことが背景の一つにありますが、重篤な病気の治療が可能になった一方で、食べることができない、話すことができないという方が増えています。重症患者さんの治療の先にある、食べる、話す、さらには社会復帰を目指すとしたときに、あらゆる職種や部署が横断的に治療に携われるような体制が必要と思われます。そこで、かねてから取り組んでいた嚥下治療をさらに発展させ、今年7月に「嚥下治療センター」を立ち上げたのです。
加藤(耳鼻科): 日本全体でも、2011年に肺炎による死亡者数が脳卒中を上回りました。医療技術の進歩で命を助けられるようになったことの結果として、嚥下障害、特に誤嚥性肺炎が問題になってきたんですね。私は頭頸部のがんを専門にしていましたが、がんは治ったけれど食べられない、またはどんどん栄養障害になっていく、さらには誤嚥性肺炎で残念ながら命を落としてしまう患者さんを経験し、本当の意味で“治す”ためには嚥下障害に目を向けなければと感じてきました。それには耳鼻科だけでなく、歯科、リハビリ、栄養管理など、さまざまな専門家の手が必要です。なかでも重要なのは、歯科との連携です。
小山(歯科): 東北大学病院のように医科と歯科が一つの病院のなかで連携して診療をしている病院は全国的にもごくわずかです。私は顎補綴(がくほてつ)といって、さまざまな理由で舌や顎を損傷した方の特殊な入れ歯や装具を用いた治療を専門としていますが、噛むことについては治療できても、食べる、飲み込むというところまでは難しいんですね。もどかしい気持ちで、どうしたら食べて体力を回復してもらえるのだろう? と考え、10年程前に耳鼻科の先生に相談したのがきっかけで連携が始まりました。たとえば手術後に装着する入れ歯を想定して、耳鼻科の先生に切除の位置などを決めてもらったり、逆に手術に合わせて入れ歯の形を変えたりというように。
香取: 口は食べ物の一番の入り口ですから、口の中の問題を解決すると飲み込みの力が強くなり、“ごっくん”ができるようになることがあるんですね。同じ口の中を扱う者同士が協力することは多くのメリットを生み出します。耳鼻科に限らず、歯科の先生の協力が病院全体の医療に与える影響は非常に大きいものがあります。
実際に口から食べることができるようになると患者さんにとってどのような良いことがあるのでしょうか。
香取: まず表情が明るくなり、意識も上がります。内科の先生方からは口から食べられるようになると血液データが飛躍的に良くなったり、経管栄養では得られない改善が見られることをよくうかがいます。
小山: 歯科では「オーラルフレイル」という言葉が一つのトピックになっています。お口(オーラル)の機能が衰える(フレイル)と身体も衰えることから、口の中の健康に関してさまざまな検討がなされています。われわれ歯科医師にとって、ただ虫歯を治すだけでなく、お口の機能を向上させて栄養摂取を可能にする役割は今後ますます重要になるでしょう。
加藤: 私は大きく2つの意義があると考えています。一つは、香取先生が話したように、元気になるという点。今後、そのエビデンスを私たちが示していかないといけないのかもしれません。もう一つは、患者さんの精神的満足度としてのQOL(quality of life:生活の質)の向上です。食べることは生きること、と言いますが、寝たきりの方にとって口から食べることは唯一に近い楽しみです。これは健康な私たちが思っている以上に大事なこと。一部の患者さんですが、飲み込み機能はそれほど悪くなくても、肺炎などのリスクを回避するために食べることを断念している例もあるのが現状です。人生の楽しみを奪うことなく「食べても大丈夫」と言ってあげられるようにすることが私たちの役割でもあります。
香取: 肺炎や窒息のリスクがある場合には、ご本人や家族、かかりつけ医など周りの方々がそれを共有し、納得した上で食事を勧めるかどうかを検討する、それだけでも十分に意義があります。
今後の目標を教えて下さい。
香取: 口から食べるためには、適切な検査や診断による嚥下機能の評価が不可欠です。患者さんの評価とともに嚥下障害に関する十分な知識と経験をもった人材を育てていくことがこのセンターの大きな役割の一つだと考えています。
小山: 嚥下障害がある方は、全身疾患を持っている方が多いので、医師とともに評価できる体制があることを心強く思っています。ここでの取り組みを通じて、歯科医師に必要な知識や技術を地域に発信するなど、研修機関として機能していければと考えています。
加藤: 以前は地域の病院で嚥下障害について相談を受けたことはほとんどありませんでしたが、最近は意識が高まり、相談も増えてきました。地域の病院と人的交流が盛んな東北大学病院がハブとなり、地域の診療所や在宅などで嚥下治療を必要としている方々に適切な医療を届けられるような貢献をしていきたいです。
香取: 今、AIの医療応用が盛んですが、遠隔地におけるAIを活用した診断サービスも考えていきたく思います。東北大学は医療イノベーションの拠点で、医療現場を企業に開放して課題を解決するアカデミック・サイエンス・ユニット(ASU)に取り組んでいます。その強みを生かして企業とも積極的に連携していきたいです。身近なところでは、食べ物や食器などの開発につなげられたらと。
小山: 高齢者でお水はむせてしまって飲むことができない方でも、食べ物はお口の中でしっかり噛むことで食べられる方がいらっしゃるんです。しっかり噛むことで飲み込みやすくなる嚥下食を開発できたら素晴らしいですね。地域の患者さんに広く貢献する新たな医療を生み出すことこそ、大学病院が嚥下障害に取り組む大きな意義の一つだと思います。
加藤: 予防も大切です。「最近、むせることが多いんです」という方がいても、今はどこを受診してよいのか分からないんですね。今後は、軽症の方の受け皿が必要になってくるでしょう。行政と連携し、地域全体として嚥下のケアができる仕組み作りも目標の一つです。まだ課題は多いですが、嚥下治療センターが開設した今、そのスタートラインに立てたことをう
れしく思っています。